1970年代、富山県は「暴走族発祥の地」として知られ、多くの若者が改造バイクで夜の街を駆け抜けていました。
「サーキット族」と呼ばれるその姿は、富山城址公園や旧公会堂周辺で日常的に見られ、富山の名は全国に広まりました。
時代が流れ、現在の富山では当時のような大規模な暴走族は姿を消していますが、「爆音走行」は形を変えて続いています。
当記事では、“新庄女王姫”“岩瀬韋駄天”などが活躍した全盛期から、SNSでつながる現代の走り屋たち、そして富山県警の対応などについて深堀りします。
暴走族全盛期の富山
1980年代、富山県内では中学校の校区単位で「男爵」「新庄女王姫(クイーン)」「岩瀬韋駄天(いだてん)」など10を超える暴走族グループが誕生。
各グループは独自の特攻服を着て、改造バイクで市内を走り回っていました。
その後、グループの統合や離脱を経て「富山連合」や「砺波連合」といった大規模連合が形成され、一時は数百人規模の組織となりました。
これらの暴走族は、富山の若者文化に強く影響を与え、地域に独特な暴走族文化を築き上げたのです。

なぜ暴走族は消えたのか?
暴走族が富山の街から姿を消した理由は複数あります。
まず、富山県警による取り締まりの強化が大きな要因です。
集団での暴走行為に対する警察の圧力により、多くのグループが自然消滅していきました。
また、若者たちの価値観の変化も大きな要因です。
かつての暴走族が重視していた「上下関係」や「絶対的なルール」を敬遠する若者が増加し、組織的な活動への参加を避けるようになったと言われています。
SNS世代の“新型暴走族”
現在でも、暴走行為が完全になくなったわけではありません。
16~18歳の若者を中心に、爆音を響かせながら市街地を走る光景が見られています。
ただし、かつてのような大規模な組織は存在せず、SNSで知り合った若者たちがその場限りで集まる「新型暴走族」へと変化しています。
これにより、警察の取り締まりは困難になり、現代ならではの課題が生まれているのです。
富山県警の現在の対応と課題
富山県警交通指導課によると、「暴走行為自体はなくなっていない」との認識が示されています。
SNSによって流動的に集まる若者たちに対し、県警は監視と取り締まりを継続しつつ、未然防止にも力を入れているといいます。
組織的な暴走族は消えたとはいえ、爆音走行や危険運転のリスクは依然として残る状況です。
警察は地域住民からの通報や、交通事故の抑止などを視野に入れながら、若年層への啓発活動も進めています。
ネット上での反応と声
ネット上では、
・「新庄女王姫って懐かしい」
・「昔はかっこいいと思ってた」
・「まだ暴走族っているの?」
といった様々な声が見られます。
一方で、
・「SNSでつながって暴走とか、時代が変わったな」
・「やっぱり危ないから取り締まりは必要」
といった、安全面を危惧する意見も多数。
かつての暴走族文化を懐かしむ声と、現代の危険行為への警鐘が入り混じった反応が目立ちます。

まとめ
富山がかつて“暴走族発祥の地”と呼ばれたのは、単なる伝説ではありません。
「新庄女王姫」や「岩瀬韋駄天」といったグループが街を駆け巡った日々は、昭和の若者文化を象徴するものでした。
しかし、時代とともに若者の価値観や行動様式は大きく変化し、今ではSNSを介した一時的な集まりが主流に。
組織的な暴走族は姿を消したものの、爆音と危険行為はなお続いています。
今後も、警察・地域・社会全体が連携して「新型暴走族」への対処に取り組むことが求められています。

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